自分らしく愛でよう

ご閲覧ありがとうございます。管理人が気ままに書くブログです。

雑談のエンタメ性

ご閲覧ありがとうございます。

 

今回のテーマは

 

雑談のエンタメ性

 

です。

 

 

 

皆様は"雑談"って好きですか?

 

 

記事タイトルからわかるように

管理人は雑談が大好きなのです。

今回はそんな雑談の面白さを

管理人なりに言語化して

書いていこうと思います。

(今回は2人以上での雑談について

 書いています。)

 

 

まず、雑談の面白さはどこにあるのか?

管理人が考えるポイントは

 

何もなくても始められる点

何もかもが制約なく自由な点

 

この2つです。

 

 

まずは1点目の

何もなくても始められる点

 

 

世の中にあるエンタメは大概

それを楽しむために何か準備しなければ

いけないことがほとんどです。

 

 

その点、当たり前の事ですが、

雑談というのは所持品0、無料で

出来るわけですから、

いつでもどこでも突発的に楽しめますよね。

 

 

2点目

何もかもが制約なく自由な点

 

 

メインはこの2点目です。

まず、雑談では自由にテーマを

決めることが出来ますよね。

 

 

そして何かテーマを決めて

話し始めた時、

その話の着地点は基本的に

誰にもわかりません。

 

 

もしテーマを決めた人間が

着地点を決めていたとしても

会話の展開によって着地点が

変わることもよくあります。

 

 

むしろ雑談の面白さはそこにあります。

会話の中の一つのとっかかりから

寄り道、蛇行を繰り返し、

ふと振り向いた時に

「あれ、何の話してたんだっけ?」

こんな風に思えるのが

雑談の一番の面白さではないかと

管理人は思います。

 

 

会話に参加している誰もが

自由に話の方向性を変えたり、

着地点を決めたりできるわけです。

とてもわくわくしませんか?

 

 

「話の腰を折る」という

慣用句がありますが、

確かにエピソードトークだったり、

面白く流れている話をわざわざ

さえぎって話題を変えてしまうのは

よくありません。

 

 

話し手の方が気持ちよくその場に

いられなくなってしまいますからね。

 

 

ですが、話の切れ目を見極めて

その切れたタイミングで

話の方向性を少し変えるのは

全く問題ないと管理人は思います。

 

 

それを許容できない人は

自分にとっての

"楽しく雑談出来る相手"

ではないと考えた方がいいのでは?

と個人的には思います。

 

 

こういった部分に対しての考え方は

当然人それぞれですからね。

 

 

これを読んでくださっている皆様には

「話していて楽しい」

「聞いていて楽しい」

と思える良き雑談相手を

見つけていただきたいものです。

 

 

良き相手との素晴らしい雑談ライフを!

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

またお暇な時に覗きに来てください。

それでは。

 

何かを愛するのに遅いなんてない

ご閲覧ありがとうございます。

 

今回のテーマは

 

何かを愛するのに

遅いなんてない

 

です。

 

 

 

前置きとして、

以前にこんな記事を書きましたので

是非こちらを先にご覧ください。

 

 

kokosupptt.hatenadiary.com

 

 

上の記事で言及したように

タイミングが合うことで

自分好みのコンテンツや人と出逢った時

 

 

もしそのコンテンツが

とても長く続いているものだったら、

あるいは

その人の活動期間がとても長かったら、

 

「今更好きになってもな...」

 

そんな風に考える方もいらっしゃるのでは

ないでしょうか?

 

 

今回はそんな考え方をされる方に

届けばいいなという考え方のお話です。

 

 

 

今回のタイトルである

 

"何かを愛するのに遅いなんてない"

 

これはラジオパーソナリティとして

活躍されている鷲崎健さんが

自身のラジオで仰っていた言葉です。

 

 

twitter.com

 

 

約1ヶ月後に解散ライブを控えていた

アイドルグループ"Wake Up,Girls"を

ゲストに迎えた回

 

「最後だけ見るのは

 これまで長く応援してきた人に

 申し訳ないと思っているファンの人がいる」

といった趣旨の発言に対して、

鷲崎さんが返した言葉でした。

 

 

この言葉に込められたメッセージは

活動やコンテンツが終わるという

シチュエーション以外でも

当然変わらないと管理人は思います。

 

 

長くその人、コンテンツを

応援してきた人とは

共有してきた思い出という

財産の量は当然違います。

 

 

しかしながら、そうであっても、

興味を持ったタイミングから

その人、コンテンツと時間を共有すれば

自ずと自分だけの"かけがえない財産"が

生まれてくるものです。

 

 

応援することに必要なのは

その財産の量ではなく、

"応援したい"

"時間を共有したい"

と思う気持ちだと管理人は思います。

 

 

 

本気で調べようと思えば

たくさんのアーカイブを遡って

多くの過去の情報を知ることができ、

本気で探そうと思えば

たくさんの同志を見つけることができる

 

 

熱意と環境さえあれば

いくらその人の活動やコンテンツが

長く続くものであっても

情報を得ることが出来るわけですから、

情報の量という点ではもちろんのこと、

思い入れや思い出の財産の量で

"愛する"のを諦めるのは

もったいないと思います。

 

 

自分が気になったタイミングから

自分のペースで愛していけば

いいのではないかなと管理人は思います。

 

 

 

"何かを愛するのに遅いなんてない"

 

"愛する"ことを諦めてしまいそうな方に

この言葉が届きますように...

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

いろいろなテーマで記事を書いていますので

是非他の記事も読んでみてください。

 

 

それでは。