自分らしく愛でよう

ご閲覧ありがとうございます。管理人が気ままに書くブログです。

純粋に見れるうちが華

ご閲覧ありがとうございます。

 

今回のテーマは

 

純粋に見れるうちが華

 

です。

 

 

 

昨今、SNSを通して

好きなコンテンツが同じ

仲間と繋がっているという人は

多いと思います。

管理人もたくさんの仲間と

繋がっています。

 

 

そうやって人と繋がっていると

自分の好きなコンテンツに対して

「売り出し方のここが気に入らない」

「運営のここがダメ」

なんて批判を展開する方が

数多く見られます。

正直、管理人もたまにしてしまいます。

 

 

今回はそんな批判をしてしまうことについて

思うことを書いていこうと思います。

 

 

 

まず、管理人はこういう批判自体を

一切してはならないとは思っていません。

 

 

改善すべき点がコンテンツを作る側に

あるのであれば、享受する側が

声を上げることは悪いことではない

と思うからです。

 

 

むしろ、コンテンツというものは

作る側と享受する側が

協力して作り上げるもの

だと思いますし、

そう考えれば、

享受する側が声を上げること自体

必要不可欠と言えると思います。

 

 

管理人もコンテンツを作る側に

なった経験があるので、

"作っている側にはわからない、

 享受する側だけがもつ感覚"

というものが確かに存在していると

理解していますし、

その感覚をある程度活かした方が

良いものが作れると考えています。

 

 

 

しかしながら、

ファンの目線に立ち返ると

そうして声を上げたことは

あまり良い思い出には

なっていないように感じます。

 

 

ファン歴を振り返った時に、

「一番楽しかった時期は?」

と自分に問いかけると、

それはファンになりたての時期

だったのではないかと思います。

 

 

その理由の一つは

初めて知ること、経験することが

たくさんあったからでしょう。

初めてに勝る特別はなかなか

ありませんからね。

 

 

そして、他の理由としては

「純粋だったから」

というのがあると思います。

 

 

コンテンツに触れる期間が長くなれば

それだけそのコンテンツの脆い部分も

見ることになります。

 

 

そういった脆い部分を見ることで、

あるいはそこを指摘することで、

そのコンテンツへの熱が

多少なりとも削がれるというのは

誰しもが経験したことがあること

なのではないでしょうか?

 

 

こういった経験をする度に

「純粋に見れるうちが華だったんだな」

と感じてしまいます。

 

 

人がコンテンツを作っている以上、

脆い部分が存在するのは

仕方のないことです。

 

 

 

声を上げることも必要ですが、

自分のためにも、

出来る限り純粋な気持ちを

忘れずにコンテンツを

享受していきたいものだなと

改めて感じます。

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

またお暇な時に覗きに来てください。

それでは。