自分らしく愛でよう

ご閲覧ありがとうございます。管理人が気ままに書くブログです。

"好き"を言語化する難しさ

ご閲覧ありがとうございます。

 

今回のテーマは


"好き"を言語化する難しさ

 

です。

 

 

 

皆様は人に自分の好きなものを

オススメしたことはありますか?

したことがあるという人は、

どのようにしてオススメしましたか?

 

 

やはり"言葉で伝えた"という方が

多いのではないでしょうか?

そう、言語化です。

 

 

昨今、SNSで自分の好きな人、モノの

好きな部分を語る人が増えたことで

"言語化"という言葉を

よく耳にするようになったと感じます。

 

 

自分が感じたことを言葉にする"言語化"は

多くの語彙を必要とするため、

非常に高度な技術であると言えます。

 

 

そんな言語化の中でも管理人は

「自分の"好き"を言語化すること」

が他の感情の言語化より難しいと感じる、

というのが今回のテーマです。

 

 

 

では、なぜ"好き"の言語化

他と比べてより難しいと感じられるのか?

 

 

 

それは好きなものへ向ける感情が

"他とは一線を画す特別なもの"

であるからだと管理人は思っています。

 

 

好きな人、モノの好きな部分を

言語化することによって

自分が感じた"特別"が

ありふれた普遍的なものに

変わってしまうように感じられるのです。

 

 

これは語彙力や言語化能力があるかどうかは

あまり関係ありません。

 

 

今この世に存在する言葉では

表現できないほどの良さを

その好きな人、モノに

感じている、ということなのです。

 

 

「筆舌に尽くしがたい」

「言葉にならない」

といった表現がありますが、

まさにこの状態です。

 

 

言葉にならないものを

無理矢理言葉にするのですから、

難しくて当然です。

 

 

しかし、そんな状態であっても、

自分がどこに魅力を感じているのか、

言葉にしなければ当然ながら

相手には伝わりません。

 

 

 

自分の感じたものを出来る限り

正確に言葉で伝えたいと思うならば、

言語化能力を磨かなければいけません。

磨いてさえいれば、

完全な言語化が出来なかったとしても

伝えられる部分は

多くなるはずですからね。

 

 

それでもやはり

完全な言語化が出来ない以上は

言葉だけに頼るわけにはいきません。

相手にその人、モノの良さを

伝えたいと思うならば

その良さが凝縮されている

参考文献を用意するのが良いですね。

 

 

"好き"に関しては

言語化をすることも大切ですが、

「百聞は一見に如かず」

モノを見せて良さを分かってもらうことが

一番の近道なのではないかと

管理人は思います。

 

 

 

最後まで読んでいただき

ありがとうございました。

 

 

またお暇な時に覗きに来てください。

それでは。